おんまはみんなパッパカ走る

思い起こしばなし

お題 「思い出の場所」

お題「思い出の場所」

 

「思い出の場所」って、昔と変わって行くのが

何だか物悲しいよね。

 

3才の頃、両親が離婚して母に引き取られた。

母は若かったので、仕事をしながら幼児を

育てられず、俺はずっと親戚の家に預けられていた。

 

小学校に上がる頃、母が知り合いとの共同経営で

スナックを開く事になり、スナックの2階が

住居となっていたので、それを機に

母と暮らせる事になった。

 

場所は石川県金沢市の繁華街。

 

一緒に暮らしだしたけど、母は昼夜反対の生活。

俺は、朝から昼過ぎ迄は、ほぼ一人で過ごしていた。

だから、小学校に通いだしてからは

楽しくてしょうがなかった。

 

朝起きても、母は寝ていてヒマなので

俺は起きるとすぐに学校へ行った。

まだ7時前なので、学校の門は閉まっており

門が開くまで、毎朝待っていた。

 

時には門を揺すりながら、

「ねぇ!まだー!、まだ開けないの~!」

・・・などと、叫びながら催促していた。

 

最初の内は、やれやれ・・と言う感じで

門を開けてくれていた用務員さんが

その内、嫌気がさしたのであろう。

「いい加減にしろ!もっと遅く来なさい!」

・・・と怒られた。

 

それにショックを受けたのか、ムカついたのかは

全然憶えていないのだが、俺はその日から

毎日、遅刻して行くようになり、

今度は毎日先生から怒られていた。

 

小学校は、特に低学年は早く終わる。

学校から帰った俺は、いつもヒマだった。

 

家が繁華街だったので、通り一筋横に

大きなアーケード付の商店街があった。

当時は、金沢では有数の商店街だ。

 

俺はその商店街を毎日、一人でウロウロしていた。

 

大きな玩具屋さんは、いつも俺がいる所。

学校の道具類は、いつも商店街の終わり

辺りの文房具店で買っていた。

大きなウェディンケーキを飾っているショウウィンドウを

いつもかぶりついて見ていた。

大きなテレビが見られる、電気屋さんは俺のお気に入り。

洋服ショップの店員のお姉さんは、

時々、俺の話し相手になってくれた。

タバコ屋さんには、よく母にタバコを買いに行かされて

そのお釣りで、俺はお菓子を買った。

写真館の外に飾られた、可愛い女の子の写真を見ながら

いつもニヤニヤしていた。

 

小学校2年生になった頃、スナックの仕事が忙しく

なったので、また親戚の家に預けられた。

 

石川県の郊外の海沿いの町だった。

歩いて5分の所に、砂浜があるような所だった。

 

親戚のオジさんオバさんは優しく、2つ下の男の子や

赤ちゃんもいて、俺はそれなりに楽しく暮らしたが

また母と別暮らしになったので、寂しい時もあった。

 

そんな時は一人で砂浜に行って、ずっと海を見ていた。

日本海の強い波を見ていると、何となく心が晴れた。

 

 

俺が小学校3年になった頃、母はスナックをやめて

また俺を引取り、名古屋に移った。

以降、俺は大人になるまで石川には行く事は無かった。

 

 

俺は大人になり、10数年前に旅行で石川県を周った。

ドライブ旅行だったので、子供の頃の懐かしい場所

にも行ってみる事にした。

 

俺が一年生の時に通った小学校は、もう無かった。

いや、正確には校舎はあるのだが

綺麗に建て替えられていて、昔の面影は無かった。

 

学校の名前も変わっていた。

昨今の少子化のせいだろうか?

二つの学校が統廃合されて、場所は俺の通っていた

学校が残り、学校名はもう一つの方の学校名が

残ったのだそうだ。

 

調べてみると町名も変わっていた。

俺の小学校は、昔の町名に学校と付いていたので

(○○町小学校だった。)

町名が無いのだから学校名が無くなるのは

無理もないのだろうか?

 

いつもウロウロして遊んでいた商店街も

ほぼ無くなっていた。

 

まず、アーケードが無い。

大分と昔に無くなったそうだ。

 

お店も殆ど無い。

大きな玩具屋も

ウェディンケーキのショウウィンドウも無かった。

 

以前とは違う店舗が少しあり

他には住宅や事務所が並んでいる。

 

商店街っぽい街路灯に、看板のプレートがあり

それが商店街だった名残を示している。

 

少し歩くと、商店街の終わり辺りに

俺の通っていた元文房具屋さんらしき建物があり

シャッターが閉まっていた。

シャッターは錆びていて、随分前から開いて

いないように見えた。

 


そして2年生の時に住んでいた社宅に行ってみた。

 

ちなみに社宅に住んでいた親戚は、もうずいぶん

以前に引っ越していまっていた。

 

久しぶりに訪れた、社宅は寂れていたものの

いまだに健在だった

勿論、知っている人は誰もいないであろうが。

 

親戚の子供達とよく遊んでいた、社宅の前にあった

大きな空地には、有名な会社の工場が建っていた。

 

周りは当時は空地だらけだったのだが

コンビニやドラッグストア以外は、ほぼ工場か倉庫。

昔はそんな雰囲気では無かったのだが、

たぶん現在は、指定された工場地域なのだろう。

 

俺の住んでいた社宅だけが、時代に残されたかのように

ひっそりと佇んでいた。

 

俺は社宅の前に車を置いて、記憶を辿りながら

昔のように歩いて、砂浜に向かった。

 

実は前もって地図を見て、分かっていた事だが

以前のように砂浜へは、行く事が出来なかった。

 

なぜなら社宅と砂浜の間に高速道路が出来ていたから。

 

俺は車に戻り、迂回して別のルートから砂浜に出た。

そこには昔とは違い、何だか小ぎれいに整備された

砂浜が拡がっていた。

 

同じ海のはずだが、海も何だか色あせて見えた。

でも子供の頃に、ずっと見ていた海だ。

少し目が潤んだ。

 

 

俺は今でも何かあると

時々、あの社宅の近くの砂浜を

ストリートビューで見ている。

 

街も景色も変わって行くのが当たり前だけど

思い出の場所は、あまり変わらないで欲しい。

 

そう言えば、ストリートビューで見ると

あの社宅は最近、綺麗になっていた。

建物名が変わったので、何処かが買い取って

外壁を塗り替えたのだろう。

 

やめて欲しいが、まあ、取り壊されないだけ

マシかなぁ・・・などと思った。

 

思い出以外は、俺のモノでは無いのだけどね。