おんまはみんなパッパカ走る

思い起こしばなし

誰でも勝利者になれる

昨日の続き・・・って程では無いのだけど

勝負とか、勝ち負けの話。

 

最近は下火だが、数年~十数年前くらいに

運動会の徒競走の順位付けを廃止するとか

クラスや紅白の勝ち負けを決めないとか言って

幼稚園や小学生の子供達に、順位や優劣を

付けないような教育論が流行っていた。

 

この影響なのかは知らんが、

果ては、NHK紅白歌合戦まで、勝ち負けを

決めるのは廃止しようとか、言っていた。

(実際は、まだ廃止してないが)

 

だが、そもそも現実の人生では

優劣を決める事ばかりだし、子供の遊びだって

勝ち負けを決めるものばかりである。

 

「じゃんけん」、「にらめっこ」に始まり

「かるた」に「トランプ」

ボードゲーム」に「テレビゲーム」

子供の遊びの世界を一つ取ったところで

勝ち負けや、勝負が無い世界なんてありえない。

 

俺は子供の頃、体育が苦手だった。

走るのが遅いし、球技も苦手だった。

 

しかし遊びである、俗に言う

「ケイドロ」は、得意だった。

 

ただただ、まともに追いかけられるだけなら

足の速い子には、到底かなわない。

 

しかし俺は小柄で、人の影に隠れるのが

とても上手かった。

 

あと持久力もあったので、

最初の数十秒さえ逃げきれば、その後は

ダラダラと走って、相手をバテさせて

諦めさせるような、走りも得意だった。

 

俺は仲間達と遊ぶ時に、代表者がジャンケンをして

仲間を一人づつ選んで取っていくような

チーム分けの場合は、「野球遊び」だと

最後まで選ばれずに「残り物」になってしまうが

「ケイドロ」だと、けっこう上位で選ばれるような

子供だったのだ。

 

何が言いたいかというと、

誰でも得意なジャンルと苦手なジャンルがある。

誰でも勝利者になれる。

 

それが別に勉強や野球だと、偉い訳でも無いし

別に、機械いじりでも、動物好きでも、

極端な話、「早メシ食い」でも、「ルックスが良い」でも

「アイドル好き」でも

「ジャンケン」でも「にらめっこ」でも良い。

 

どれも変わりなく、才能の優劣だと思えば良いのだ。

 

足が速い子、暗算が得意な子、豪速球が投げれる子

 

勿論、凄い才能だけど、

でも、それが一番良いと、より偉いと

誰が決めた?

 

何が得意でも、何が苦手でも

何が勝てて、何が負けてても、それで良い。

 

いっぱい、何かで勝負すれば、何かで勝てるかもしれない。

 

スポーツや勉強で負けたからと、意気地を無くして

何も勝負しなければ、何にでも勝てない。

 

いまどきは仕事なんかも、メチャ細分化されて来ている。

 

例えば俺の若い頃だと、俺はテレビゲームが好きだから

ゲームを作るプログラマー

・・・なんかになれるといいな~

なんて思う程度の選択肢しか無かったが

 

今現在であれば、

ゲームの企画、シナリオライターとか、キャラや

世界観のデザイナーとかのクリエイター系は勿論

プロゲーマー、ゲーム雑誌記者、評論家、講師

声優、デバッガー(バグ探し)等々・・・。

果ては、ゲーム実況でメシが食える人が居るくらいだ。

 

別に、プログラムの才能が無くたって

ゲーム関連の仕事の世界で、充分やっていける

場合も多いし、勝利者にもなれる可能性がある。

 

こんな事を書くと、

「自分には得意なモノがない。」

「私は勝てる事なんてない。」

・・・などと言う人が、絶対にいると思うが

はたして、そうだろうか?

 

口ゲンカなら勝つ自信がある。

個性的で人には理解されないけどオシャレが好き。

自分の妻が好きな事なら誰にも負けない。

アニメなら、そんじょそこらの人より沢山見ている。

スマホの文字入力は、だいたいの人より早く打てる。

 

何でもいいから、勝てるものを持ては良い。

あなたはその分野の「勝利者」で「逸材」なのだ。