おんまはみんなパッパカ走る

思い起こしばなし

子供の頃の好き嫌い

俺は子供の頃、結構な偏食家だった。


大人になった今でも、食べられない物は幾つかあるが

人に「好き嫌いが多いね」・・・と言われる事は

殆ど無いくらいまでには、何でも食べられるようになった。

 

子供は基本的に食べられない(食べたくない)物が多い。

子供は辛い物、苦い物、酸っぱい物、複雑な味の物を

食べない場合が多い。

刺激物は、子供の体にはあまり良くない場合もあるので

大人も勧めないが、苦い物(おもに野菜等)、

酸っぱい物(果物、お酢の入った物)は、重要かつ必要な

栄養素が入っており、身体に良いので、大人としては

出来れば食べて貰いたいと思うものだ。

 

本か何かで読んだか、テレビ番組等で見た記憶では

人間は元々本能的に「苦い物」、「酸っぱい物」と

いうものは毒を含んでいたり、腐っていたりを意識させて

生命保持の意味から、避けようとするのだそうだ。

 

生命としての経験が浅く、まだまだ長く生きていかねば

ならない子供達は、本能として「苦い物」、「酸っぱい物」を

嫌がるのだろう。

そのうち、知識や体験で「それ」が食べられる物という

認識を舌や脳が憶えて、「それ」を食べる事が平気になり

物によっては、美味しいとまで思えるようになるのだろう。

 

それを踏まえて子供の好き嫌いは、味付けや理由付けに

創意工夫して、何とか食べられる様に大人が努力をする。

それでも、どうしても無理な場合には、大人が脅したり

怒ったりして、無理やりには食べさせさせない。

・・・と言う事で、良いのではないかと思う。

俺みたいに大人になれば、大部分は勝手に食べられる

ようになるのだろうし。

 

俺が今だに食べられないものに、「ラッキョウ」がある。

俺は子供の頃、母子家庭だったが、母がまだ若かったので

3才~小学校2年生くらいまでの間は、ほぼどこかの親戚の家に

たらい回しに預けられていた。

小学校2年生の時に、1年間預けられていた親戚の家は

叔母さんが、とても厳しかった。

念の為言うが、別に虐められてた訳ではない。

人様の子供を預かったのだから、ちゃんと躾はせねばと

考えたのだと思う。

 

その時に、自分の中で一番キツかったのは食事だった。

叔母さんは、食事を残す事を許さない。

だから、全部食べ終わるまで、食事は終わらない。

 

俺は当時も、嫌いな物は多かったが、

既に幼児ではなく、2年生になっていたので

嫌いな物でも、無理をして目をつぶって食べたり

噛まずに水と一緒に飲み込んだりして、何とか食べていた。

 

で、ある日、「ラッキョウ」が食卓にあがった。

ラッキョウ」は、よくある

「一つの瓶に入っていて食べたい人が勝手に取って食べてね」

・・・形式ではなく、各自の小皿に何粒か置かれて

「はい、どうぞ」

・・・と言う形で出てきた。

つまり、俺の前に置かれた小皿の数粒の「ラッキョウ」は

俺が残さずに食べなければならない「オカズ」だという事だ。

 

しかし、俺はその匂いで、どうしても口の中に入れられず

ラッキョウ」だけが、残ってしまった。

匂わないように息を止めて、無理やりに口に入れるが

丸呑み出来る大きさではなく、かじった時に出て来る

汁の味で、またつい外に吐き出してしまう。

 

俺は「無理だ」と泣きじゃくっていたが、それでも叔母は許さず

俺は最後には、意を決して「ラッキョウ」一粒を丸呑みにした。

 

しかし、すぐに気持ち悪くなって、それまでに食べた食事ごと

全部、食卓に吐いてしまった。

 

叔母はさすがに、食べさせる事をあきらめ

それ以降、おれにラッキョウを勧める事は無かった。

 

しかし、俺はその件がトラウマになり

いまだにラッキョウが食べられない。

臭いも駄目だし、人が食べているのを見るのも嫌なので

カレー屋などで、同伴者がラッキョウを食べようとすると

お願いだから止めてくれと懇願する。

どうしても食べたい場合は、席を別にして貰う。

そのくらい、ラッキョウが苦手だ。

 

こんな俺みたいな人間を、他にも作らない為にも

子供の食べられない物を、無理やりに矯正しようとするのは

絶対に止めた方が良い。