おんまはみんなパッパカ走る

思い起こしばなし

100キロの友よ

 

お互いに引越してしまい、縁遠くなり

連絡も取れなくなったが、俺が高校生の頃

100キロ超えの、巨漢の親友がいた。

 

彼とは、中学3年の時にも同じクラスだったのだが

その頃は、ただのクラスメイトで、学校内での

遊び仲間の一人って程度だった。

 

高校も同じになり、たまたま家が近くだったので

朝、一緒に通学するようになり、高校では一回も

同じクラスにならなかったが、放課後も二人で良く

遊ぶようになり、同じ所で一緒にバイトをしたりして

どんどんと仲良くなった。

 

その頃の俺は、今とは違い痩せていたせいもあり

100キロ超えの親友は、他の友達とは違う経験が出来て

今思えば、なかなかに面白く楽しかった。

 

高校と言えば、入学してすぐに部活の勧誘がある。

入学後、彼と一緒に校内を歩いていると、痩せっぽちで

身長もさして高くない俺は、ほぼ無視されているのに

巨漢の彼は、勧誘の先輩達から引っ張りだこだった。

 

柔道部、ラグビー部、アメフト部、剣道部あたりが

結構、日参で彼の元にやって来た。

 

彼は巨漢とは言え、ただのデブで、大して体力も無かったので

結局は俺と同じく、帰宅部になった。

 

彼は結構明るく陽気だったので、クラスでも人気者で

学校でも、バイクの話やギターの話とかばかりしていて

学校での「友達グループ」は、俺とは別のグループだったが

実はかなりの「オタク」で、当時「アニソン界のプリンセス」

と呼ばれていた、歌手で声優の堀江美都子の大ファンで

本当はアニメとかSFとか、角川映画が大好きなヤツだった。

 

しかし何故か本来の「超オタク姿」は、学校では殆ど見せず

遊んでいる時の俺にしか、見せなかった。

 

俺の立ち位置が、いまだに少しオタク側にあるのは

半分くらいは、彼の影響である。

 

 

ここからは100キロ超え友達あるある(?)エピソード。

 

高校生なので地元遊びでの移動は、ほぼ自転車だった。

そもそも彼は太っているので、歩くのがあまり好きではない。

 

彼の自転車は、あり得ないくらいに、しょっちゅうパンクした。

俺は彼に付き合って、何回一緒に自転車屋に行った事か。

 

彼は、やはり良く食べるヤツだった。

 

一緒に遊んでいると、しょっちゅう何かを食べる機会があった。

 

おかげで高校入学時に、痩せっぽちだった俺は、卒業時には

結構・・・・。(涙)

 

高校生なので少し遠出する場合は、電車かバスだ。

 

当時は、電車でも対面座席が結構あって、混んでいると当然

彼と並んで座るの事になるのだが、隣に座ると狭くて熱くて

しかも腕とかが触れると、汗かきなのでベタベタする。

 

で、バスの時だが、一人掛けの椅子と二人掛けの椅子があると

彼は決まって、二人掛けに座りたがる。

 

・・・と言っても、別に二人は変な仲ではない。

 

彼には、一人掛けの椅子でも少し狭いらしく、

俺が痩せっぽちだったので、二人で一緒に二人掛けに座ると

丁度具合が良いな・・・と思っていたのだ。

 

でも、俺は熱いのだが・・・・。

 

彼とは良くゲーセンに行っていた。

 

今の子供なら、家で一緒にゲームをするのだろうが

当時はファミコンさえ、発売される前だった。

 

当時のゲームセンターでの主流は、テーブルゲームだ。

 

インベーダーゲームとかで、良くあったヤツで

テーブルの中心に、ブラウン管が埋め込んであって

向かい合わせに座り、膝の辺りにあるレバーとボタンを

操作してプレーし、代わりばんこにスコアを競う。

 

彼は、ゲームをする為にテーブルゲームに座ると

100パーセント、ズボンのポケットに入っている

財布だの鍵を、テーブルの上に置いていた。

 

多分、太っているので、座るとズボンがパツンパツンで

ポケットのモノが、キツくて痛かったり不快だったり

していたのだろう。

 

俺はテーブルの上に物を置くと、100パーセント

置き忘れてしまう性格だったので、それが気になって

イライラして仕方が無かった。

 

高一の頃は、よく学校の授業をサボって

二人でゲーセンで遊んでいた。

 

ある時、胸に名札を付けた3人のオッサンに話しかけられた。

「君たち、何歳や?」

 

補導員だった。

 

俺は、咄嗟に素早く逃げだした。

 

しかし、ふと横を見ると彼はいない。

 

振り返ると、いまだにテーブルゲームに座っていて

3人の補導員に囲まれていた。

 

彼は巨漢で、逃げても目立って見つかりやすいし

そもそもが走るのも、動きも遅いのを自覚していて

最初から逃げる気が、失せていたのだ。

 

俺は、まさか親友を置いて逃げる訳にもいかず

そのまま引き返して、大人しく補導され

後日、担任と親にこっぴどく叱られた。

 

彼とは、よく一緒に映画を見に行った。

 

当時の映画館は、指定席ではなく、早いもの順で

自由に空いている席に座っても良いという方式だ。

 

彼と映画に行くときは、絶対に一番前の一列目に座った。

 

彼には、前に他の座席があると、足がつっかえて

狭過ぎるらしく、これ以上前の無い一列目が

最適だったのだ。

 

じゃあ、真ん中の通路の所の席でも良いのでは?

・・・と思うだろうが、その席は比較的人気があり

だいたいは混んでいる。

 

一列目は映画館で一番人気が無く、映画によっては

ほぼ人が座っていない。

 

彼は横に人が座っているのも、出来るだけ避けたかったのだ。

 

俺も勿論、彼に付き合って、いつも一列目に座っていたが

画面が近すぎて眼が疲れるし、ずっと上方を見続けている感じで

マジで首か痛くなった。

 

あと、邦画やアニメは良いのだが、洋画で字幕だったりすると

当時の字幕は、殆どが右端に出ていたので、いちいち首を

一番右に向けなくてはならず、首を上へ右へ、もっと疲れはてた。

 


この間、映画館が混んでいて、一列目では無いのだが

久しぶりに、かなり前方の席で映画を見る事があって

ついつい彼の事を思い出した。

 

彼は今でも巨漢なのだろうか?

 

もう結構、いい年齢なのだが(まあ、俺と同じ歳だが)

健康に、元気でいるのだろうか?

 

あぁ、暫くぶりに会ってみたいものだ。

 

「機械」を信じるきれるか?

 

自分で書いていて、何なのだが

オヤジなので「機械」なんて書いてしまった。

 

「機械」というと「歯車」とか

「金属部品等で組み上げて人工的な動力で動くもの」とか

ちょっとクラッシックなイメージが伴うが

要は、AIでも人工知能でもプログラムでも集積回路でも

半導体でも、コンピューターでも、マイコン(死語?)でも

まあ、何でもいい。

 

つまり、そういった感じのモノを、あなたは信じきれるか?

・・・って事を、言いたかった。

 

一番解かり易いであろう例を出すと、自動車の「自動運転」。

 

最近、この手の技術はどんどんと進んでいるが

もし完全な「自動運転」の車が出来た時に

その車を信じきって、運転を任せられるか?

 

法律とのカラミもあり、少なくともしばらくは

「自動運転」イコール「無人運転」では無いだろう。

(つまり無人のタクシーが走り回ったり、

運転席の場所に、運転免許を持つ人が着座していない

自動運転車輛は、当面の間は無理だと思う。)

 

だが、「無人運転」がOKだとした場合

運転する人が誰も乗っていないタクシーに乗ったり

イカーでも、誰も運転席に座らずに

後部座席で寝ていたりとか、出来るだろうか?

 

将来、簡単な病気であれば、カプセルに入れられて

5分くらいたてば、風邪だとか胃炎だとか捻挫だとか

診断できるように、なるかもしれない。

 

でも、その診断を聞いた時に、皆全員が信じ切って

あぁ、風邪なんだ・・・となるのだろうか?

 

大企業とかでは、特にパートやヒラ社員とかの

人事の評価は、そのうちにAIに任せてしまうように

なる気がする。

 

多分、結構妥当で、正当な評価がされるのだろうが

当の評価された人間は、それで納得するのだろうか?

 

 

そこまで、はたして「機械」を信じられるのだろうか?

 

多分、時代の流れで、「機械」に信じて任せてしまう人が
どんどん増えては、来るのだろう。


しかし今現在でも、飛行機という鉄の塊が空を飛ぶ

なんて納得出来なくて、飛行機には絶対に乗らない人や

カード払いとか信用できなくて、支払いは全て現金派の

人も沢山いる。

 

かくいう俺も、カードも、おさいふケータイも

バーコード決済も使ってはいるが、例えばコンビニで

ジュースを1本買う時でさえ、レシートを絶対に貰って

金額を確認する事にしている。

 

つまり、俺はコンビニのキャッシュレスのレジを

いまだに、信用しきれていないのだ。

 

俺の職場の、俺より二つ年上の上司は

いまだにガラケー使用のアナログ人間だが、エクセルで

自動計算した書類を彼に渡すと、書類の数字を

いちいち電卓でポチポチと打って、確認している。

 


でもでも、実際は、間違うのは殆どの場合は人間の方で

もしレジで間違っていたら、レジの店員が2回同じ商品を

「ピッ」としていたり、エクセルの数値が間違っていたら

入力した人間のミスだったりする事が普通だ。

 

自動運転だって、予想外の事故が起きたりするだろうが

たぶん人間が直接運転するよりは、事故が減るハズだ。

 

最近のニュースでも、マイナンバーカードが色々と

言われているが、殆どは人間の入力ミスだった。

 

テレビに出ていた「暗算の達人」が、フラッシュ暗算

数十桁の足し算を、殆ど間違える事もなく解いていた。

凄い才能で、同じ人類なのだろうかと感心する。

 

しかし、フラッシュ暗算の数字のモニターを読み取る

AIカメラと、ごく普通のパソコンを組み合わせれば

ごくごく簡単に出来る、芸当でもある。

 

人間ならば、疲労もあるし集中力も切れるから

数分から数十分くらいしか計算は続けられないだろうが

「機械」の方は、数日間だって平気で計算し続けるだろう。

 

人は「機械」を、信じ切ってしまう事は怖い。

(特に古い人間ほど)

 

これから、どれだけ「機械」を信じて任せていけるように

なれるのか、楽しみでもあり、不安でもある。

 

子供の頃は見ていたのに、今、微妙に見ない風景

 

昭和時代に成人を迎えた俺が、昔は良く見たのに

今は微妙に見ない風景がある。

 

ビーチサンダルの人

 

クリスマスに、三角帽をかぶっている子供

 

かっぽう着のお母さん

学生帽をかぶった小学生

常にパンツを見せている女の子

旅館でも無いのに家で浴衣でくつろぐオヤジ

(アニメ、サザエさんでは見るけどね。)

 

雑誌の自動販売機(ビニ本含む)

 

丸眼鏡にベレー帽(某漫画家とか)

 

正月に羽根つきをする人

 

ナショナルの看板

(そんな事言えば、他にもいっぱいあるが。)

 

肩に段々のソバを抱えて自転車で走るソバ屋

(実はドラマとかでしか見ていない)

 

黒い煙を出す煙突

 

丸くて回るジャングルジムっぽいヤツ

 

タンクトップで集合写真を撮る女性アイドル

 

薬局の前の、ゾウとかカエルのキャラクター人形

 

フーセンガムを膨らませている人

 

遊園地とかの0系新幹線の乗り物。

 

丸いちゃぶ台の上に、お茶碗やお椀を伏せて置く

 

夫婦(めおと)茶碗とか夫婦湯飲み茶碗とか

 

ガスコンロの付いたテーブル

 

蝶々みたいな、大きいリボンを付けた子供

 

白いランニングシャツで歩いている人

(某所では見るらしいが・・。)

 

青っぱなを垂らした子供

 

外をハダシで走り回る子供

 

小学生の女の子が、赤ちゃんをおんぶ紐でおんぶ

 

急に野球遊びをしたくなった時に

道端に、適当な角材とか鉄パイプとか落ちていない

 

ドブ板

 

木の電柱

 

アスファルトにチョークの落書き

 

ケンケンパをして遊んでいる子供

 

子供が数人並んでニッコリさせると、全員どこかの歯が無い

 

立ちション、座りションする幼児

 

赤胴鈴之助月光仮面のお面

 


おわり

(忙しいので手抜きで。。。)

 

気付くの遅いだけ?・・・だってオヤジだから。

 

昨日、池上彰さんの「ニュースそうだったのか!!」

を見ていて、なるほど・・・と思った事がある。

 

テーマは「お金の使い方でわかる今と昔」と言う

話題で、今はお金を何に使って、何に使わなく

なったのか・・・と言う話だった。

 

昭和世代は凄く車にお金をかけた・・・とか

昔は家電が結構高くて、皆「月賦(ローン)」で

買っていた・・・とか、まあそんな話は、さて置いて。

 

俺が面白かったのは、「スマホ」の話。

 

スマホ」は便利だけどバカ高い。

通信費に紛れて分割で払っていたり

契約内容で、割引があったり

各社のポイントを貯めてて、実費は少なくなったり

・・・と色々あるが、昔は「携帯電話」がほぼ無料の

機器まであったのを知っている世代からすると

正直言って、バカ高い。

 

しかも最近は国の方針で、大分安くなったとは言え

通信費もなかなか高い。

 

携帯電話やスマホを持っていない時代は

元々発生していなかった費用(家の電話代はあるが)

だと思うと、この支払い分で、結構なモノが

買えるのになぁ・・・などと、思ったりする。

 

しかし、スマホを持つ事によって、今では必要の

無くなった費用が、かなりあるのだ。

(番組では、カメラと地図くらいしか言って無かったが。)

 

まずカメラ。

 

結構値の張るカメラ本体(写真機)は、趣味や仕事で

写真を撮る人以外は、殆ど必要が無くなった。

 

合わせて、フィルム代、現像費、アルバムだっていらない。

(ただ、これらはスマホじゃなく「デジカメ」になった頃

から、そうなのだが・・・。)

 

・地図

俺は個人的に地図自体が好きだったし、仕事柄必要でもあった。

20代くらいの頃は、いったい地図に幾ら注ぎ込んだ事だろう。

 

パソコンが一般的になった頃から、地図をあまり買わなくなったが

それでもいちいちプリントアウトするのがメンドかったし

印刷費や紙代もかかったが、個人で見る分には

それすらも、必要無くなった。

 

・ナビ

地図購入と重なるが、車のナビは2~3年でデーターを更新したり

何だったら買い替えてしまったりで、結構費用がかかったが

スマホのナビがこれだけ進化すると、車のナビなんて

多少古くても、気にならなくなった。

 

・ICレコーダー

仕事柄、マイクロカセットレコーダーの時代から数台買い替えたが

もはや、必要ない。

 

・音楽プレーヤー

仕事では無いが、上記と同じく必要ない。

 

・電卓

仕事で使う大きな電卓は購入しているが、外出先で手軽に使える

カード電卓(死語?)は不必要に。

 

・新聞

パソコンでニュースが見られるようになり、新聞を取らなくなった

ものの、電車とかではヒマなので、時々スポーツ紙とかを買っていたが

スマホで必要なくなった。

 

そうそう、新聞をやめてもテレビ欄だけ見たくて、昔はテレビ雑誌を

買っていたが、これもスマホで不必要に。

 

・ラジオ
非常時の為にラジオ本体はあるが、普段使いはスマホで。

 

・ゲーム機及びゲームソフト

ゲーマーでは無いので、スマホで全然OKに。

しかも無料の範囲でも充分。

 

・電話代

通信費はともかく、家電も含め通話料はメチャ安い。

遠距離通話も、ほぼ意識しなくて良い。

 

・クーポン

紙のクーポンをマメに集めていたが不要に。

同じく、ポイントカードも大部分が不必要に。

使うのを忘れる事はあっても、

家に忘れてくる事は、皆無。

 

・懐中電灯

仕事柄、小さいのをバッグ忍ばせていたが、スマホで充分。

 

・時刻表

マメに貰いに行ったり、写真を撮ったり、メモを取ったり

していたが、不用に。

 

・財布

あまり使わないので、痛まなくなった。

カード入れとかも同様。

 

・本

情報系の本、料理本とかは買わなくなった。

勿論、電子書籍も利用しているが、老眼にはチトきつい。

 

・手帳、帳簿

予定表、日記帳、お薬手帳、血圧記録、家計簿、電話帳

スマホは何でもござれ。

 

・天気予報・時報(電話)

子供の頃から、何回かけた事だろう・・・。

 

・パソコンの有料ソフト

パソコンでも無料ソフトは結構あったが、アンドロイドは

よりお手軽。

 

・時計

好きな人はファッションで買うだろうが、俺にはスマホ

充分・・・と思っていたら、最近はスマートウォッチが

手放せなくなった・・・。

 

・・・とまあ、他にも色々と人によってオトクだったりが

あるのだろうが、これだけ金銭的にも色々と恩恵があると

本体がバカ高いと言うのも、ある程度は納得せねば

ならないのだろうねぇ。

 

昔の子供は、危ない事こそが遊びだった

 

最近は公園から遊具が無くなりつつある。

 

理由は子供が怪我をするから。

 

時々ニュースで、子供が公園の遊具に頭をぶつけて

意識不明だとか、指を遊具に挟んで切断したとか聞く。

 

自分は子供の頃の、ニュース事情を知らないので

昔もこのような事象が、ニュースとして流れていた

かどうかは判らないが、遊具も子供の遊びも

明らかに、昔の方が危険だったハズだ。

 

多分、昔は子供の数も多かったし、今よりももっと

沢山の子供に関する事故が、発生していたのだと思う。

 

今は子供の人数が少なくなり、子供自体の希少さが増し

ニュース自体も、新聞やテレビだけでなく

ネットでも流れ、クチコミも昔以上に、あっと言う間に

拡がる時代になって、遊具に関する危険性も

よりクローズアップされているのだろう。

 

しかし考えてみると、危険じゃない遊具なんて

本当に、あるのだろうか?

 

自らの子供時代の事を思い出せば、皆が心当たりが

あると思うが、子供は(もしかして人間そのものが)

個人差こそあれ、危険であればあるほど

面白がる生き物である。

 

子供は、普通に使用すれば安全であろう遊具を

あえて危険にして、新しい方法で遊ぶのが

とっても、楽しいのである。

 

・ブランコ

 

座って、地面に足の着く範囲で、ブラブラしていれば

さほど危険な遊具ではない。

 

さりとて、手を離したならば、変な落ち方をして

怪我をするだろうし、ブランコが動いているさなかに

むやみに近づけば、ブツかって怪我をする。

 

椅子部分からお尻が滑って落っこちれば、お尻が痛いし

落っこちて、そのまま逃げなければ、まだ動いている

椅子部分が頭にぶつかり、脳震盪を起こすかもしれない。

 

大人しく乗っていても、それだけの危険が伴うのに

子供は、けっして大人しくは乗っていない。

 

より高く漕ぐ為に,友達に力一杯背中を押して貰ったり

立漕ぎをしたり、ブランコからジャンプして飛び降りたり

二人乗りをしたり、横漕ぎで横のブランコとブツけあったり

乗ったままで、ブランコのチェーンをグルグルと巻き上げて

戻る時の回転を楽しんだり。

 

・滑り台

 

一人一人が順番を守り、前の人がちゃんと降りてから

次の人が滑り、長ズボンを履いて、手摺りをしっかりと持ち

滑り下りながら、下に降りる寸前に両手で手摺りを握って

しっかりとブレーキをかけ、両足でちゃんと降り立てば

全然、危険な遊具ではない。

 

さりとて、手摺りを持たないで滑ると

スピードが出すぎて、そのまま地面に尻もちをついてしまい

もしかして腰を痛めるかもしれないし、手摺りの持ち方が

中途半端だと、指を捻って捻挫か骨折をしてしまうかもしれない。

 

また、階段を昇る時に、ウッカリと踏み外して怪我をするかも。

 

大人しく使用していても、それだけの危険が伴うのに

子供は、けっして大人しくは遊ばない。

 

前の子が滑っているのに、後ろから追いかけて滑り下りたり

何だったら最初から連なって滑ったり、頭から逆さ滑りしたり

更に、うつ伏せ逆さ滑りになったり、立ったままで駆け下りたり

滑る方から走って掛け昇ったり、それでコケたり

滑る方から昇って行っているのに、あえて上からも滑って来たり

更に上から砂を流したり、玩具の車を落としたり

滑り下りた最後の足場の辺りに穴を掘って、それをジャンプしたり。

 

・シーソー

 

同じ位の体重の子供同士が、両端でシッカリと座り

手摺りをちゃんと持って、お互いに行儀よく

順番にゆっくりと、地面を蹴って上下していれば

そこまで危険な遊具ではない。

 

さりとて、着地の時に足を痛めたり、上側になった時に

バランスを崩したりと、怪我をするリスクはゼロではない。

 

大人しく使用していても、それだけ危険が伴うのに

子供は、ぜんぜん大人しく遊んでくれない。

 

遊んでいるうちに、お互いに競争心が芽生えて

下に着いた途端に素早く地面を蹴って、結局スピード競争になったり

下側になる度にどんどん強く蹴って、自分が上になった時に

勢いで身体をピョンと浮くのを、自らビビッて楽しんだり

何人も同時に乗ったり、片側に1人乗った状態で中心部まで

平均台みたいに歩いたり、真中で一人で足だけでシーソーをする

「ヤジロベー遊び」をしたり、片側に石を乗せて反対側を手で

勢いよく押して、石を遠くに飛ばしたり。

 


・・・とまあ、他にもあるが、書き出すとキリがない。

 

遊具が安全なのに、越したことはないとは思うが

肉食動物の子供が、ジャレあったり、競争したりして

遊びの中から少しづつ、狩りの仕方を覚えていくように

人間の子供も、遊びの中の多少の危険を伴う体験の中から

加減や危険を避ける事を、学んでいくものだ。

 

危ないからと言って、あまりにも大人がそれを排除し

抑制し過ぎると、その子供達が将来大人になった時に

本当の危険を見分ける事や、いき過ぎた行動を抑制し制御する事が

出来るようになるのだろうか?

 

何だか、心配になって来る。

 

ガイジン

 

小学校5年生の時、学校の教室に侵入してきた外人に

ビンタをされた事がある。

 

 

昭和50年くらいの頃、当時は大都会(?)名古屋市

郊外辺りでは、外国人の方は殆ど見かけなかった。

 

※ちなみにこの話題での「外国人の方」・「外人」とは

見た目で判る、おもに白人の方や黒人の方で、

東洋人の方は含みませんので、ヨロシクです。

 

名古屋でも、中心地「栄」や名古屋駅周辺、空港の辺りへ

行けば、そりゃあ外国人もそれなりに見かけたのだろうが

別に観光地でも高級住宅街でもない、ただの郊外の町には

外国の人は珍しかったのだ。

 

ちなみにテレビでは、外国の人は普通に見かけた。

 

当時は今よりも、日中に結構、海外ドラマとかを放映してた。

 

記憶にあるのは、

「野生のエルザ」とか「大草原の小さな家」とか

奥様は魔女」とか「わんぱくフリッパー」とか。

 

ワンコ好きなので、「名犬ラッシー」などは

テレビにかじりついて、視ていた。

 

外人のタレントさんも(ハーフかも?)結構いたし

プロ野球の外人助っ人とか、プロレスもゴールデンタイム

にやっていて、悪役レスラーは殆ど外人だった。

 

少し前には、札幌オリンピックや万博もあったので

テレビでは、普通に外人を見まくっていた。

 

ところが実生活となると、まあ俺の生活環境もあるの

だろうが、殆ど外人との接点は無かった。

 

子供の多い頃の小学校なので、生徒数は千人を超えていたが

俺の学校には、外国の方はいなかったように思う。

 

 

・・・さて、話はビンタの件に戻る。

 

当時、俺の小学校の校舎の2階や3階から見える

2階建てのハイツのような建物に、外国人の大人の男性

(多分、お嫁さんと子供も)が住んでいた。

 

学校近くなので、その人がよく校舎横の道路を歩いていた。

 

それまでウチの辺りでは、外人を見かける事など珍しかったので

休み時間などに、その外人さんを見かけると、クラス中の皆が

「ねぇねぇ、ガイジンが通るよ~!」

・・・などと言って、窓際に集まって見物するようになった。

 

子供の悪いトコで、そのうちに調子に乗った

ウチのクラスの「ヤンチャなヤツ」5~6人が、窓から

その外人さんを、からかうように、なってきたのだ。

 

「ヘイ、ゴードン!!」

「どこ行くんだい!ゴードン!」

「ゴードン、ゴードン、ゴーーーー!!」

 

・・・などと叫んで、外人さんがこちらを見ると

サッ!と・・・窓の下に隠れる。

 

そうなると「ヤンチャ達」5~6人以外の、ただ見ていただけの

子供達も一緒になって、慌てて隠れなければならない。

 

「ヤンチャ達」は、外人さんをからかうのと、

他の子達が慌てて隠れるのを見て、面白がっていたのだ。

(そもそも「ゴードン」も、ソイツらが勝手に付けた名だ。)

 

これも子供の悪いトコで、飽きもせずシツコく

それを何回も繰り返し、やっていたのだ。

 


外人さんは、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 

子供達がからかっていたある日、急に学校に入って来て

俺達の教室にまで入って来た。

 


俺は、最初の頃こそ一緒になって、外人さんが前の道路を

通るのを興味津々で眺めていたが、すぐに飽きてしまい

その頃は「外人見物?」には、参加していなかった。

(勿論、「ヤンチャ達」にも含まれていない。)

 

小学生からすると、とても身体の大きな成人の男の

ガイジンが教室に入って来たので、子供達は慌てて

悲鳴をあげながら、教室内から逃げて行った。

 

俺は「見物」に参加していなかったので、

ガイジンに気付くのが遅くなり、逃げ遅れてしまった。

 

俺は、巨大なガイジンを見上げて

「あぁ、この人、たぶん怒りに来たんだ。」

・・・と思った。

 

ただ、俺は「見物」にすら「参加」していなかったので、

(別に俺に怒りに来たワケでは無いよね・・・。)

・・・と思ってしまい、ガイジンを見上げながらも

その場から逃げようとはしなかった。

 

しかし、ガイジンは

「ヘイ、カモン・・。」「ヘイ、カモン・・・」

・・・と2回言いながら、俺に向かって

人差し指でクイックイッ・・・としたがと思いきや

いきなり、俺の頬にビンタを食らわした!

 

たぶん手加減はしたのだろうが、ビンタの勢いで

俺は教室の床に突っ伏した。

 

痛さと怖さで、目の前がクラクラとする。。。。

もはや逃げる気力すらない。。。。

 

しかし、ガイジンはそれで満足したのか、子供達が

遠巻きに見守る中、悠々と歩いて教室から出て行った。

 

他の子達が俺の元へ、ザワザワと集まって来た。

 

少しして、「ヤンチャ達」が俺に謝って来た。

 

 


ガイジンは多分、日本人の子供の顔の見分けがつかず

「ヤンチャ達」の中に、俺に身なりが似た子を見ていて

それを俺だと思い、ビンタを見舞ったのだろう。

 


今現在であれば、すぐに通報され、夕方のニュースざたに

なりそうな事件だが、その当時は宿題を忘れただけで

教師が、生徒の子供を普通にビンタする時代だ。

(少なくとも俺の学校では、そんな感じだった。)

 

この件は通報もされず、子供達は自分達が悪いのを

感じていたのか、誰も先生にすら報告しなかった。

(たぶん誰かが親には言っただろうが、時代のせいか

別に問題にもならなかった。)

 

それ以降、子供達は校舎の窓から「ゴードン」を

見かけても、二度とからかう事はしなかった。

 

たぶん、俺だけが何だか納得のいかないまま

40年以上経った今も、こうして憶えている・・・。

 

多様性って知っていますか?

 

小学生の頃、名古屋に住んでいた。

 

今では色々なスポーツのファンがいるが

俺の子供時代は、日本人がテレビで見るスポーツと言えば

野球がダントツと言っても過言ではなかった。

 

子供と言えども、テレビでプロ野球を見ていないと

次の日の話題に付いていけないし、遊びでも数人集まれば

○○ベースだとか、野球を模した遊びに明け暮れていた。

 

名古屋では当然のごとく、周りは中日ファンだらけだ。

 

ちなみに俺が小学校の頃、クラスの男子は殆どが

中日ドラゴンズのファンで、皆がドランゴンズの

青い帽子をかぶっていた。

 

クラスで2人だけ巨人ファンがいたが、残りの男子は

全員が、ドラゴンズファンだった。

 

子供だったので、他の地方の事を知らない俺は

日本で一番人気のあるプロ野球チームは

中日ドラゴンズ」だと、本気で信じていたくらいだ。

 

中学2年生の頃に、大阪に引っ越して来て

環境がガラリと変わった。

 

そこは、阪神タイガースファンだらけの世界だった。

 

ごくわずかだけ、巨人ファンと

パ・リーグのチームのファンが、存在はしていたが。

(名古屋にはパ・リーグのチームが無く、当時は誰も

パ・リーグに興味が無かったので、それはそれで衝撃だった。)

 

当時の大阪の同級生は、俺が中日ファンだと知ると

関西では殆ど見かけないので、一様に驚き、何故か

「うんうん、巨人ファンじゃないなら、OK、OK!」

・・・などと、決まって上から目線で言っていた。

 

阪神ファンは、巨人にだけ特別なライバル心を持っているのと

多分、中日がその頃は、とても弱かったせいで

まあまあ、許容してくれていたのだと思う。

 

俺は、阪神ファンは、関西圏の人は

皆が全員、阪神ファンだと思っているのではないかと感じている。

 

例えば俺が一人で、お好み焼屋焼鳥屋で一杯やっていると

時々、隣席の面識のない人に、声をかけられたりするのだが

そういう人達の8割がたは、タイガースの話題をふってくるのだ。

 

特にタイガースが勝った夜などは、その確率がとても高い。

 

「今日の○○のピッチングは感動やったね~。」

「あそこの○○監督の采配は、さすがやったわ。」

「兄さんも見はった?あの○○の逆転ホーマー!」

 

知らん!!!・・・ちゅーねん!

 


俺も関西が長いので、甲子園に野球を見に行った事もある。

 

行くのは当然「阪神VS中日戦」だ。

 

俺は3塁側内野席を取った。

野球に詳しい人は知っているだろうが、通常の球場では

1塁側はホーム席、3塁側はビジター席である。

 

つまり1塁側の席には、阪神ファンが陣取り

3塁側の席には相手側、つまりこの場合は通常、中日ファン

陣取る場所なのである。

 

まあ、何となく予感はあったのだが、球場に行ってみると

3塁側内野席の周りは、全員阪神ファンであった。

 

中日ファンは何処に???

 

遠方を見渡すと、外野席の一部に応援団らしき一団が

陣取っており、その周りに少数のファンの塊が・・・。

 

あとは外野とアルプス席に、阪神ファンに交じってチラホラと。

人数で言うと10対1以下。。。

 

その時は別に、阪神タイガースが優勝争いとかは

していなかったのだが・・・。

 

俺は阪神ファンに囲まれながら、応援の声も出せず

もっぱら静かに、野球を観戦。

 

阪神のチャンスになると、周りが盛り上がって

全員が立ち上がっている中で、俺は一人座りながら

ビール片手に、焼きそばモグモグ。

 

暗~い気持ちで野球観戦していると、何だかトイレに

行きたくなったので、タイミングを見計らって

中日の攻撃が終わった所で、トイレに立った。

(野球ファンは、ヒイキのチームの攻撃が一番見たいので

ヒイキのチーム側が守備になると、トイレに行ったり売店

行ったりするのだ。)

 

・・・俺がトイレに行くと、既に先客が用を足していた。

 

あぁ、この人は。数少ない中日ファンなのかな?

・・・と思いつつ、俺も隣で用を足していると

隣のヤツが話かけて来た。

 

「やぁ、あなたもですか?

ホンマは阪神の攻撃を見たいけど、中日の攻撃中は

トイレがメチャ混むからね~。」

・・・と、当然のごとく、「阪神ファンよ、お前もか!」

のように言われた。

 

この人は、この球場に中日ファンがいるなんて

露ほどにも思っていないんだぁ・・・と思いつつ

 

もうこの球場に、プロ野球を見に来る事はないだろう

・・・と、俺は心に決めたのだった・・・。