おんまはみんなパッパカ走る

思い起こしばなし

震災の真っ只中でのん気に

今朝がた、千葉で大きな地震があった。

 

GWにも、石川県でとても大きな地震があり

今もなお、余震が続いている。

 

被害にあった方々に、お見舞い申し上げるとともに

震源地に近い皆様方は、くれぐれも

お気をつけください。

 


さて、阪神間に住んでいる俺にとっては

地震と言って、いまだに思い出されて身震いするのは

阪神大震災」である。

 

当時、関西では、この地区を震源とする

大きな地震は来ない

・・・などと言われていて

地震保険の料率も、国内で最低レベルだった。

 

仕事で、よく阪神間を車で移動していて

その時に、国道43号線を走りながら

その上部を走る阪神高速神戸線を車内から見て

同僚に

「あの上の高速道路が、地震でもあって

落ちて来たら、俺達ど根性ガエルみたいに

ペシャンコになるよなぁ。。。。」

・・・などと、冗談で言っていたのだが

まさか、ホントになるとは。。。

 

 

俺は当時、1DKの集合住宅の7階に1人住まいだった。

 

1月の早朝で、まだ暗いのに何故だか、ふと目が覚めた。

普段、起きてくる時間には、まだ30分以上あったのだが

何だか眠れなく、布団の中でぼんやりと天井を見ていた。

 

その時に、突然地震は来た。

 

あまりの揺れの凄さに、何が何だか解からず

すぐには地震だと気付かなかった。

 

部屋のあちらこちらから、何かが割れる音

何かが壊れる音、何かがキシむ音

・・・が聞こえ、地震だと気付き、何かが頭や身体に

当たった時に、多少でも怪我が防げるかと思い

身体を丸めて、冬布団に潜り込み、くるまった。

 

揺れが収まっても、ガス爆発でも起こるのでは??

・・・と怖くて、しばらくくるまった布団の中から

出るのを躊躇っていたが、何も無かったので

恐る恐る布団から顔を出した。

 

部屋の中は、真っ暗闇で何も見えなかった。

普段なら夜中でも、電気製品のデジタル表示や

通電を示す小さい明かりが灯っているし

ベランダから外の明かりも、少し漏れて来るのに

今は、何一つ明かりが無い。

(ちなみに当時は、携帯電話も無かった。)

 

これは、地震で停電しているようだ。

 

ベッドから半身を起こして、ベランダのカーテンを

少しずらして外を見ると、普段は消える事のない

マンションの廊下照明も消えている。

それどころか、停電では消えないはずの

高層の建物のてっぺんにある、赤い点滅灯すらも消えていた。

 

更に身体を伸ばして、ベランダのガラス戸から

階下の方を除くと、信号も街灯も消えており

いくつかの車の、ヘッドライトだけが見える。

 

その車も一部を除いて、殆どがハザードランプ

点滅させて停車しているようだ。

 

俺は、電池式のラジオがあったのを思い出し

ベッドを出て、横のローボードの引き出しから

手探りでラジオを見つけ出し、スイッチを入れた。

 

しかし電波が乱れているのか、放送局が地震でやられたのか

何だかうまく音が聞こえてこない。

 

布団の中で、じっとしていると徐々に薄っすらと

空が明るくなってきた。

 

その時、パッ・・と明るくなった。

電気が復旧したのだ。

 

地震後、初めて見えた狭い部屋の中は悲惨だった。

 

本棚が倒れ、前にあるコンクリートの壁に

穴あけて少しめり込んでいた。

金属ラックも倒れて、床は本とか、棚に置いてあった

物とかが散らばっていて、足の踏み場もない。

 

更に、床は一部水浸しで割れたガラスの破片だらけだった。

 

匂いと音で、何となく検討は付いていたのだが

飾ってあったブランデーやウイスキーの瓶が床に落ちて

割れて、中身ともども散乱していたのだ。

 

壁が揺れ動いたせいなのだろうか?

壁紙のアチコチに、線みたいな切れ目と、スキマ

から出た、黒い埃みたいな跡もあった。

 

テレビを付けると、地震のニュースがやっていて

淡路島や神戸で震度6とか言っていたが

被害の様子とかは、報道にもまだ良く判らないようだった。

 

大分と明るくなったので、俺はベランダに出てみた。

そこら中に地割れが出来ていて、雨も降っていないのに

全面水浸しで、アスファルトの上がドロまみれだった。

 

後から知ったのだが、液状化現象で地面から水と砂が

噴き出したのだとか。

 

駐車場には、泥の噴き出した穴に車体の4分の1くらい

埋まってしまって動けそうもない車も見えた。

 

外がかなり明るくなり、近所に住む親の事が心配になってきた。

電話をかけたが繋がらない様子なので、とりあえず安否確認の為

実家に直接行ってみる事にした。

 

実家は近くの高層団地の6階で、父親と義理の母

当時高校3年の妹が暮らしていて、歩いても15分くらいだ。

 

部屋の床が酒浸しでガラスまみれなので

ベランダのサンダルを履いて、土足で室内を歩く。

 

壁にめり込み、斜めに倒れた本箱が通せんぼしているので

力任せに動かすと、俺が大事にしていた本達が酒浸しの床に

ドタドタと崩れ落ちていったが、気にしてる場合ではない。(涙)

 

7階の俺の部屋を出ると、案の定2台あるエレベーターは

両方共が、役立たずになっていた。

 

しかたなく、階段を使って降りて行くと

昇って来る何人かの人と、すれ違った。

 

あまり知らない人ばかりだったが、お互いに少し声をかけあった。

その中の人達の家人には大して怪我した人とかは、いないようだ。

 

一階に降りると、ホールのガラスが割れていたり

自転車やバイクが将棋倒しになっていたりした。

 

外に出ると、道路にも地割れが多数。

あと、各マンホールが何故だか道路部分より高く

飛び出しており、それを避けて車がゆっくりと走っていた。

 

パトカーや救急車は近隣には見当たらなかったが

遠くから、絶え間なくサイレンが聞こえる。

その中を、いつもより多めの人が行き来し、あちこちで

数人が集まって何やら話をしている。

 

実家の団地に付き、やはりエレベーターは止まって

いるので階段を上り、部屋の前でインターホンを

押すと、普通に妹が出迎えてくれた。

 

部屋に入ると、父が普通にテレビを見ていて

母も、これも普通に朝ごはんの準備をしており

何と、味噌汁を作っていた。

 

俺はその時、水道が出ているのはまだしも

ガスが使えているのに、けっこう驚いた。

 

これも後で知ったのだが、周辺の水道管は

地震で破裂してすぐに止まったが、ここの団地や

マンション等は、高層住宅なので高架水槽の水が

無くなる迄は、水道から水が出ていたのだとか。

 

ガスも現在とは違い、メーターが地震を感知して

自動停止するタイプではないので、

ガス会社が、元で閉栓するまでは、ガスが出たのだ。

 

ちなみに、うちのガスは味噌汁が出来上がった頃に

完全に出なくなった。

 

そしてそれ以降、水は1ヶ月以上、ガスは2ヶ月以上

使えなくなってしまった。

 

 

俺達は、まるで地震など無かったかのように

平和に話をして、テレビを見ながら朝ごはんを食べた。

 

父は、

「電気が回復して明かりが付いたら、頭の横にミシンがあった。」

・・・と、笑って話をした。

 

タンスの上に置いてたミシンが、地震の揺れで

父が寝ていた枕元に、落下して来たのだ。

 

少しでもミシンか頭が横にズレていたら、ただでは済まない。

 

テレビでは、地震速報で震源だの震度だの

マグニチュードなどを、繰り返し報道していたが

被害状況については、この時点では殆ど伝わってこなかった。

 

人が2~3人くらいは、亡くなったのかな??

・・・と、思ってしまうくらいに・・・。

 

食事が終わると、母は仕事に行くと言いだした。

 

母は、車で20分くらいの市場で事務の仕事をしていた。

地震で事務所が心配だから、行って来ると。。。

 

・・・そう言えば、俺も仕事に行かねば・・・。

そう、今の今ままで、忘れていた・・・。

でも、今日はもう遅刻だよなぁ・・・。

 


ご飯を食べ終わり、さて、親も無事だったし

家に帰って着替えて、仕事にでも行くか

・・・と、思っていたところに、急に母が帰ってきた。

 

俺「どうしたん? 何か忘れ物か?」

母「今日、会社に行かれへんわ~。」

俺「なんで? 休みにするって連絡でもあったん?」

母「途中の道でな、高速道路が落っこちてて

  道が、ぜんぜん通られへんくなってんねん。」

 

俺達は唖然とした。

 

・・・この時から、どんどん俺達は

今回のこの地震が、ただの大きな地震では無かった事を

思い知らされていく事となるのであった・・・。

 

「つづく」

 

いや、続きませんよ。(笑