昭和の駄菓子屋と男の子達
子供の頃、いつも駄菓子屋に行っていた。
母からせびった、50円玉とか100円玉を握りしめて
休みの度に駄菓子屋に走ったものだ。
そして駄菓子屋は当時の男の子にとっては
まさに「鉄火場」だった。
ちなみに「鉄火場」とはカジノや競馬場のような
射幸心が煽れるギャンブルの場・・・と言う意味だ。
駄菓子屋自体はレトロブームも相まって、今でも良く見かける。
何だったら、オシャレなショッピングセンターにも
出店していて、それを結構、大の大人が買っていたりする。
だが、今の駄菓子屋と昔の駄菓子屋の決定的な違いは
「クジもの」「当てもの」の多さだ。
今でも「当り」付きで「当り」が出るともう1個貰える
・・・と言うような駄菓子は、まあまああるし
ちょっとした「くじ引き駄菓子」も少しは見かける。
しかし昭和40年代の駄菓子屋は「当てもの」が主流であったし
俺なんかは「当てもの」以外は邪道だとさえ思っていた。
大人になった今、パチンコ屋や競馬場に行ったりするが
それと同じノリで、俺たちは駄菓子屋に行っていたのだ。
(注:個人的見解です)
当時の男の子達の醍醐味は、子供達各自が同じ100円玉を
握りしめて、同じ駄菓子屋を訪れても
それぞれ、持ち帰る駄菓子の量と質が違う事だった。
そう、「勝ち」と「負け」がそこには存在するのだ。
友達二人と一緒に駄菓子屋に行って、帰りには自分の袋の方が
友達の袋より大きく膨らんでいる。
・・・これが無性の喜びである。
(※あくまで、個人的見解です。)
でも個人的に正直に言うと、
実は「当り」の駄菓子が、特別に美味しい・・という訳でもない。
例えば串カステラは、クジ引の「当り」が大きめのドーナツだったが
俺としては、ハズレの串カステラの方が、普通に美味しかった。
「当てもの」の紐付き飴も、ハズレの小さいイチゴ飴が一番美味しかったし
クジを引いて、1等~5等&ハズレ・・・がある「メダル型チョコ」も
ハズレの小さいチョコが一番質が良くて、「当り」の大きいチョコは
噛んでも嚙んでも中々溶けない、不味くて質の悪いチョコだった。
1等のバカでかいチョコなんて、食べきれずに残したりしてた位だ。
それでも、買って帰った「戦利品」である駄菓子を
友達と、「戦利品」の発表会のように
「次、これ食~べよっ!」
・・・とか言いながら、友達がハズし、俺だけが当たった
より大きな駄菓子や、より豪華に見える駄菓子を
優越感に浸りながら食べるのが、サイコーだったのだ。
余談だが、女の子達は俺達のように「ギャンブラー」では無かった。
「当てもの」は、その殆どが当時、10円だったのだが
女の子達は平気で、「当てもの」ではない30円位の駄菓子や
50円程もする、小さい玩具やアクセサリーのような物を買っていた。
俺は当時、それを見て
「当てものを買わずに、あんな高いもん買うなんて
女はバカだなぁ~。」
・・・などと思っていたが
女の子の買った30円の「当てもの」では無い駄菓子は、
俺が当てた10円の「当り」の駄菓子より、確実に美味しかったし
50円で買った玩具は、その後何日も一緒に遊べたりした。
今考えると、女の子と言う者は、昔から堅実で現実的なんだなぁと
感心に思う事しきりである。